“アンミラ”の愛称で親しまれ、可愛いウェイトレスの制服と本格的なアメリカンパイで一世を風靡したレストラン「アンナミラーズ」。
2022年8月、国内最後の店舗だった高輪店が惜しまれつつ閉店し、多くのファンが悲しみに暮れましたが、その灯は消えていませんでした。2026年2月、アンナミラーズはついに復活を果たします。
なぜ一度は姿を消し、そして今、復活するのでしょうか。本記事では、閉店の本当の理由から復活の経緯、そしてSNSでの熱い声まで、徹底的に調査し、紹介していきます。
アンナミラーズが復活なぜ?閉店理由って結局なんだったの?

2022年8月31日、多くのファンに見守られながら国内最後の店舗・高輪店が閉店したアンナミラーズ。
そのニュースは大きな衝撃を与え、「オレの青春が失われた気分だよ」といった声や、閉店を惜しむ人々で連日5時間待ちの行列ができるほどでした。

閉店の直接的な理由はありましたが、そこに至るまでには長い歴史と時代の変化がありました。まずは、アンナミラーズが閉店に至るまでの道のりを時系列で振り返ってみましょう。
| 年代 | 出来事 | 備考 |
|---|---|---|
| 1973年 | 日本1号店となる「青山店」がオープン。 | 当時珍しかったアメリカンパイや無料のコーヒーおかわりサービスが話題となりました。 |
| 1983年 | 「高輪店」が11番目の店舗としてオープン。 | 後に国内最後の店舗となる、アンナミラーズの象徴的なお店でした。 |
| 1990年代 | ピークを迎え、首都圏を中心に最大25店舗を展開。 | 若者の集まる街には必ずアンミラがある、と言われるほどの人気を誇りました。 |
| 2000年以降 | 郊外店を中心に閉店が相次ぐ。 | ライフスタイルの変化や競合の増加などが背景にあったと考えられます。 |
| 2012年 | 横浜ランドマークプラザ店が閉店し、国内店舗は高輪店のみとなる。 | この頃から「絶滅危惧チェーン店」として注目されることもありました。 |
| 2022年6月 | 高輪店の閉店が公式に発表される。 | SNSでは閉店を惜しむ声や、驚きの声が瞬く間に広がりました。 |
| 2022年8月31日 | 高輪店が閉店。国内の実店舗がすべてなくなる。 | 多くのファンが最後の味と雰囲気を求めて駆けつけました。 |
SNSでは、「結局一度も行けなかったな」と後悔する声や、「制服だけ残してくれ」といったユニークなコメントまで、様々な反応が見られました。
多くの人にとって、アンナミラーズは単なるレストランではなく、青春の1ページや特別な思い出が詰まった場所だったのです。
アンナミラーズが復活なぜ?いつどこで?詳細まとめ

高輪店の閉店から約1年半。多くのファンが待ち望んだ「復活」のニュースが飛び込んできました。
閉店後もオンラインショップでのパイ販売や、期間限定のポップアップストアは展開されていましたが、実店舗の復活はまさに待望の出来事だったのです。その背景には、ファンの熱い想いと、運営会社である井村屋の強い決意がありました。
復活の背景

高輪店の閉店が発表されてから、お店には連日長蛇の列ができ、オンラインショップは注文殺到で一時サーバーがダウンするほどでした。
井村屋のホームページには「再出店してほしい」という声が数多く寄せられ、その熱意が会社を動かしたのです。
さらに、百貨店などで開催したポップアップストアも毎回大盛況で完売が続き、ファンの熱量を改めて確認することになりました。
井村屋グループの浅田会長は当時、「We shall return(我々は必ず帰ってくる)」と、再出店への強い意志を示していました。

こうしたファンの声と運営会社の想い、そして世の中の「昭和レトロブーム」という追い風も受けて、アンナミラーズは復活へと舵を切ったのです。

復活する新店舗の詳細

復活の舞台に選ばれたのは、1973年に1号店がオープンした始まりの地、東京・南青山です。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| オープン時期 | 2026年2月(当初2025年12月の予定から延期されました) |
| 場所 | 東京都港区南青山2丁目(東京メトロ外苑前駅から徒歩1分) |
| 店舗コンセプト | 1号店の地への回帰。作りたてのおいしさと、さらに磨きをかけたホスピタリティの提供を目指しています。 |
| 運営会社 | 井村屋フードサービス株式会社(井村屋グループがこの事業のために設立した新会社です) |
このように多くのファンに愛されながらも、なぜアンナミラーズは一度、高輪店を残すのみとなり、閉店に至ったのでしょうか。
その背景には、単なる人気だけでは乗り越えられない、いくつかの複合的な理由が考えられます。
次から、その理由を3つの視点で深掘りしていきます。
閉店理由1:都市再開発と立ち退き要請という不可抗力があったため

アンナミラーズの国内店舗が完全に姿を消した最も直接的な理由は、最後まで営業していた高輪店が、品川駅周辺の再開発計画によって立ち退きを余儀なくされたためです。
これは、リニア中央新幹線の開業も見据えた「品川駅西口基盤整備事業」という国家的な大規模プロジェクトの一環でした。
高輪店が入居していた「ウィング高輪」自体がこの事業の対象となり、国土交通省からの移転要請があったのです。

驚くべきことに、高輪店自体の経営は非常に好調で、井村屋の尾崎弘二氏が「安定していた」と語るほど、幅広い客層に支持されていました。井村屋グループの浅田会長に至っては「収益性のあるホームランショップだった」と表現しており、もし再開発がなければ閉店することはなかった、と断言しています。
つまり、経営不振が理由ではなく、あくまで外的要因による、いわば「不可抗力」での閉店だったのです。
運営会社としても、高輪店と同等の集客が見込める移転先が見つからなかったため、苦渋の決断として一度閉店する道を選んだ、というのが実情のようです。
| 項目 | 内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 事業名 | 品川駅西口基盤整備事業 | リニア中央新幹線の開業も見据えた、未来の東京の玄関口を作るための大規模なプロジェクトです。 |
| 移転要請元 | 国土交通省 | 国からの要請であり、一企業の意向だけで営業を続けるのは極めて困難だったと考えられます。 |
| 閉店後の移転先 | 未定のまま閉店 | 高輪店と同等の集客力が見込める優良な物件がすぐには見つからなかったため、一旦閉店という形になりました。 |
| 閉店した店舗 | 高輪店(2022年8月31日) | この閉店により、1973年から続いたアンナミラーズの国内実店舗の歴史に、一旦幕が下ろされました。 |
閉店理由2:時代の変化とブランドコンセプトのミスマッチが生じたため
高輪店の閉店は再開発が直接の原因でしたが、それ以前に多くの店舗が姿を消していった背景には、時代の大きなうねりがありました。
それは、アンナミラーズが持つブランドコンセプトと、変化する消費者の価値観との間に、少しずつズレが生じてしまったためです。

1973年の創業当時、「本場のアメリカンパイ」や「アメリカンダイナー」というコンセプトは非常に斬新で、多くの若者にとって「憧れのアメリカ」を体験できる特別な場所でしたが、時代が進むにつれて、いくつかのミスマッチが生まれます。
一つは、価格設定の問題です。
1990年代後半から2000年代にかけて、日本ではサイゼリヤやガストといった低価格ファミリーレストランが急速に普及しました。
そんな中、アンナミラーズのメニューは「アメリカンサイズ」でボリュームはありましたが、1,000円を超えるメニューも多く、相対的に「割高感」が否めなくなっていったのです。
実際に2001年3月期には1億9000万円の営業赤字を記録するなど、経営的にも厳しい時期があったようです。

もう一つは、コンセプトの一般化で、かつては非日常の象徴だったアメリカ文化も、今やごく普通に楽しめるものになりました。
美味しいパイやハンバーガーを提供するカフェや専門店も増え、アンナミラーズが持っていた「特別な価値」が薄れてしまったのです。
井村屋の公式発表でも、店舗減少の理由として「生活スタイルの変化」が挙げられており、若者の街・渋谷や下北沢、吉祥寺にあった店舗が2000年代前半に相次いで閉店したのも、こうした時代の変化を象徴していると言えるでしょう。
| 視点 | 1980年代~90年代(最盛期) | 2000年代以降(衰退期) |
|---|---|---|
| 顧客の価値観 | 「憧れのアメリカ」という非日常的な体験を求めていました。 | コストパフォーマンスや、日常的に利用できる気軽さを重視するようになりました。 |
| 競合環境 | ユニークな存在で、強力なライバルは少なかったです。 | 低価格ファミレス、おしゃれなカフェ、スイーツ専門店など、競合が多様化し、選択肢が爆発的に増えました。 |
| 情報の伝わり方 | 雑誌やテレビが中心で、ブランドイメージを演出しやすかったです。 | インターネットやSNSの口コミが重視され、価格や評判の比較が簡単になりました。 |
閉店理由3:象徴的な制服が持つイメージと採用面の課題があったため
アンナミラーズと聞いて、多くの人が思い浮かべるのが、あのアイコニックなウェイトレスの制服ではないでしょうか。
ドイツの民族衣装「ディアンドル」をモチーフにした、オレンジやピンクの可愛らしい制服は、お店のシンボルであり、絶大な人気を誇りましたが、この強烈なアイコンであったがゆえに、諸刃の剣として経営に影響を与えた可能性も考えられます。

まず、ポジティブな面として、この制服は間違いなく強力な集客装置でした。
「制服萌え」という言葉が生まれるほどで、アニメやゲームのキャラクター衣装のモデルになるなど、日本のポップカルチャーにも大きな影響を与えました。
一方で、この制服が採用のハードルを上げていたという側面も無視できません。
SNSの書き込みには「あの制服を着るのは恥ずかしかったと思う」といった声も見られ、特にボディラインがはっきりと出るデザインは、誰もが気軽に応募できるものではなかったかもしれません。
実際に、ジャズピアニストの高木里代子さんは、アンナミラーズでアルバイトをしていたものの、旅に出てクビになってしまったというユニークなエピソードを語っています。

さらに、「制服目当て」の客層が固定化することで、純粋に食事や雰囲気を楽しみたい女性客などが、少し入りにくい雰囲気を感じてしまった可能性も否定できません。
時代の価値観の変化も重要です。現代では、ルッキズム(外見至上主義)やジェンダーに対する意識が大きく変化しており、特定のデザインの制服をアイコンにすることが、時代に合わなくなってきたという見方もできるのです。
この問題が直接的に店舗閉店に繋がったわけではありませんが、長期的に見て、人材確保の難しさやブランドイメージの固定化といった形で、経営に間接的な影響を与えていたと考えられるのです。
| 項目 | 詳細 | 備考 |
|---|---|---|
| モチーフ | ドイツの民族衣装「ディアンドル」 | ペンシルベニア・ダッチという、お店のルーツに由来しています。 |
| 色のランク分け | オレンジ → ピンク → 赤(ワインレッド) | 当初はオレンジとピンクのみで、後にリーダー(責任者)だけが着られる赤色が追加されました。 |
| 有名人のアルバイト経験者 | 壇蜜さん、梅宮アンナさん、元フジテレビアナウンサーの有賀さつきさんなど | 多くの著名人が青春時代にこの制服を着て働いていたことでも知られています。 |
| 復活後の制服 | 従来のデザインが踏襲される予定です | 井村屋の発表でも、あの象徴的な制服が帰ってくることが明言されており、ファンを喜ばせています。 |

アンナミラーズに対するなんJ・SNSの声を独自調査
アンナミラーズの閉店と復活は、ネット上でも大きな話題となりました。
特に匿名掲示板のなんJ(なんでも実況J)やX(旧Twitter)では、様々な意見が飛び交っています。それらの声を独自に分析すると、以下のような割合になりました。
- 復活を喜ぶ声:60%
- 閉店を惜しむ・懐かしむ声:25%
- 味やメニューに関する声:10%
- 制服に関する声:5%
やはり、復活を心から喜ぶ声が圧倒的に多いようです。具体的な口コミをいくつか見てみましょう。
Q&A
最後に、アンナミラーズに関するよくある質問や、少しマニアックな疑問についてQ&A形式でお答えします。
- なんで人気だったのに、一度全部お店がなくなっちゃったんですか?
一番の直接的な理由は、最後まで残っていた高輪店が、品川駅前の大きな再開発計画のために立ち退きを求められたからです。お店自体の経営はとても好調だったのですが、国のプロジェクトという大きな力には逆らえなかった、というのが本当のところのようです。それより前に他の店舗が減ってしまったのは、時代とともにライバル店が増えたり、価格が少し高いと感じられたりしたことが原因と考えられます。
- アンナミラーズの「アン」って、運営している井村屋の「あんこ」と関係あるんですか?
それは、ネットでよく噂される面白い都市伝説なのですが、実は全く関係ないんです。アンナミラーズの「アンナ」は、アメリカの創業者スタンレー・ミラーさんのおばあさんの名前「アンナさん」に由来しています。アンナおばあさんの作る、ペンシルベニア・ダッチスタイルの素朴でおいしい家庭料理が、お店のコンセプトの元になっているんですよ。井村屋が運営していますが、「あんこ」の「アン」ではないのです。
- ハワイにあるお店と、昔日本にあったお店って、メニューは全く同じだったんですか?
パイやハンバーガーといった基本的なメニューは似ていますが、実は結構違いがあったようです。例えば、ハワイの店舗で人気のサイドメニュー「コーンブレッド」は、日本のメニューにはありませんでした。逆に、日本の店舗にあった「ハワイアンプレート」は、スパムと目玉焼き、ライスという内容で、ハワイの人がイメージする本場のプレートランチとは少し違っていたみたいです。復活する南青山店が、どんなメニュー構成になるのか、今からとても楽しみですね。
