1993年から続く和歌山発祥の人気和食チェーン店「いも膳」。
かつては和歌山県に5店舗、大阪府に11店舗を展開していましたが、2022年から2024年にかけて複数の店舗が相次いで閉店。
地域の人々に愛されてきた理由と、閉店に至った背景を調査しました。
いも膳の閉店なぜ?閉店理由を考察
(出典:いも膳)
30年以上の歴史を持つ和食レストラン「いも膳」の閉店。
その背景には、経営環境の激変や構造的な課題が複雑に絡み合っていたのです。
以下、主な3つの要因について掘り下げて解説していきます。
理由1:コスト高の経営体制が経営を圧迫
(出典:いも膳)
いも膳独自のカフェテリア方式は、約40種類のおかずを常時提供する画期的なビジネスモデルでしたね。
しかし、このシステムでは食材の仕入れから調理、提供まで、すべての工程で予想以上のコストが発生していたのです。
食材価格の高騰は深刻な問題でした。2023年以降、原材料費が軒並み上昇。
魚介類や野菜、調味料に至るまで、あらゆる食材の仕入れコストが増大していったのですね。
特に鮮魚類の価格上昇は著しく、和食店としての品質を維持しながらの経営は困難を極めていったのです。
(出典:いも膳)
40種類のおかずを常時提供するには、相当数の調理スタッフが必要ですよね。
早朝からの仕込み、営業時間中の調理、閉店後の片付けまで、多くの人手を要する業務が続くのです。
ちょっと話は変わりますが、いも膳の価格設定は驚くほどリーズナブルでしたね。
店内飲食では中サイズのご飯が200円でおかわり自由、小サイズは150円という破格の価格設定だったのです。
また、みそ汁100円、茶がゆ150円など、すべてのメニューで低価格路線を貫いていました。
この価格帯を維持しながら利益を確保するのは、もはや限界に達していたと思われます。
理由2:競合店との競争激化による客減
和歌山県内外での競争は年々激化の一途をたどりました。
ファミリーレストランやファストフード店の台頭が著しく、加えてテイクアウト専門店の増加も顕著でしたね。
特にコロナ禍以降の外食産業の構造変化が、いも膳の経営基盤を大きく揺るがすことになったのです。
価格競争の激化も深刻でしたね。
大手チェーン店は、全国規模のスケールメリットを活かした食材の一括仕入れにより、魅力的な価格のメニューを次々と展開。
一方、いも膳は和歌山発祥の中小チェーン店。
この熾烈な価格競争に巻き込まれることで、利益率は更に低下していったのです。
立地環境の変化も見逃せない要因でした。
いも膳和泉店周辺では、コロナ禍の影響もあり、ジョイフル大阪和泉店をはじめとする近隣の飲食店が次々と撤退。
商圏人口の減少や消費者の購買行動の変化により、集客に苦戦を強いられていたようです。
SNSの普及による影響も無視できません。
一部の店舗では、SNSを通じた顧客とのコミュニケーションを試みたものの、厳しい意見が相次ぎ、スタッフの心理的負担が増大。
これも経営判断に影響を与えた一因となったのではないでしょうか。
理由3:建物の老朽化による改装費用の負担
長年営業を続けてきた店舗の多くで、建物や設備の老朽化が深刻になっていた可能性もあります。
一般的な飲食店であれば空調設備の更新、内装の改装、厨房機器の入れ替えなど、多額の設備投資が必要になります。
これらの改装費用は、決して小さな金額ではありませんでした。厨房設備一式の更新だけでも数千万円規模の投資が必要です。
売上高が伸び悩む中、この投資負担は経営を大きく圧迫する要因となったのです。
食品衛生法の改正による設備基準の厳格化も追い打ちをかけました。
HACCP導入への対応、衛生管理の強化など、法規制への適合のために必要な設備投資も重なり、経営判断を一層困難にしていったのではないでしょうか。
建物の解体費用も大きな負担となりました。
特に和泉店の場合、閉店後すぐに建物の取り壊しが行われ、その費用も経営を圧迫する要因となったのです。
老朽化した建物を維持し続けるのか、解体するのか、この判断にも多大なコストが伴ったのですね。
いも膳の閉店を悲しむ声は多い
(出典:いも膳)
地域住民からは惜しむ声が相次いでいます。「子供の頃から通っていた思い出の店」「家族での外食の定番だった」「残業時の食事処として重宝していた」など、長年の思い出を語る声が数多く寄せられているのですね。
料理の評価が特に高かったポイントは以下の3点でした
カフェテリア方式での提供は、利用者に「選ぶ楽しみ」を与えていました。
その日の気分や予算に応じて、自由に食事を組み合わせられる。
この柔軟性が多くの支持を集めていたのですね。
また、一人でも気軽に入店できる雰囲気も、常連客を増やす要因となっていたのです。
高齢者の利用も多く、地域の食を支える重要な存在でした。
一人暮らしのお年寄りにとって、栄養バランスの取れた食事を手軽に摂れる貴重な場所だったのです。
特に和泉店周辺では、近隣の飲食店も閉店が相次いでおり、「気軽に食事ができる場所がなくなって不便」という声も多く聞かれましたね。
周辺の小売店にも影響が及んでいます。
いも膳の集客力は地域経済の重要な要素でした。
オークワ和泉小田店の店員からも「閉店されて不便になってしまいました」という声が聞かれるなど、地域全体への影響は小さくないようです。
2024年現在残る4店舗(泉大津店、藤井寺店、屋形店、黒田店)への期待は一層高まっています。
和食の伝統、家庭料理の温かみ、これらを守り続けてきたいも膳の存在意義は、今なお色褪せることがないのですね。
地域の食文化を支える店として、今後も大きな役割が期待されているのです。
なお、姉妹店のお蕎麦や壱里も、北海道産のそば粉を使用した石臼挽きそばや、こだわりの出汁で人気を集めています。
いも膳グループ全体として、和食の伝統を守りながら、新たな挑戦を続けているのではないでしょうか。