ゼットン大木さんは約27年にわたってパチスロ・パチンコ業界を代表するライターとして活躍してきた人物。
2025年12月31日をもって正式にライターを引退すると発表されましたが、今回は引退の理由や病気の噂の真相、さらに代表取締役を務める会社「サードパーティー」についても一次情報をもとにしっかり調査・紹介していきます。
ゼットン大木の引退理由は病気?

ゼットン大木さんは1973年12月8日生まれ、福岡県出身で本名は大木荘八さんです。
中学生の頃からパチンコを打ちはじめ、22歳で上京し約2年間パチプロとして生活したのちに、パチンコ必勝ガイドへの攻略法投稿がきっかけで当時編集長だった大崎一万発さんにスカウトされ、1998年(25歳)にライターデビューを果たしています。
以来27年にわたり業界の第一線で活躍されてきた、まさにレジェンドと呼ぶにふさわしい存在です。
ゼットン大木のライター引退までの時系列
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1973年 | 福岡県で生まれる(12月8日) |
| 〜22歳頃 | 福岡で会社員を経験後、東京に上京 |
| 〜24歳頃 | 約2年間パチプロとして生活 |
| 1998年 | パチンコ必勝ガイドにてライターデビュー(25歳) |
| 2005年 | 映像制作会社「有限会社サードパーティー」を設立 |
| 2023年 | 看板番組「レディステ(RSG)」が終了 |
| 2025年12月31日 | パチスロライターを正式引退 |
引退発表後のSNSでは「お疲れ様でした」「27年間ありがとう」「業界の財産だった」といったあたたかいコメントが多数寄せられました。

一方で「なぜ突然?」「病気なの?」という声も散見されましたが、公式なコメントでは具体的な理由の詳細については発表時点では後日説明予定とされていました。
ゼットン大木さんのTwitter(X)でも「詳しい経緯については後日書く予定」と案内されており、病気を示す公式情報は出ていないと考えられます。
引退理由としては次のようなものが考えられます。
引退理由1:パチスロ・パチンコ専門メディア自体の市場が縮小し続けているため

パチスロ・パチンコ業界全体の市場環境は、ここ10年で劇的に変化しています。2018年以降の出玉規制強化によってファンのホール離れが加速し、専門誌の売上げも下落が続きました。
ゼットン大木さんが所属していたパチンコ必勝ガイド(ガイドワークス)を含む専門誌業界も例外ではなく、紙媒体からネット動画への移行が急速に進んでいます。
パチンコホールの市場規模(参考)
| 年 | ホール数 | 市場の状況 |
|---|---|---|
| 2015年前後 | 約1.1万店 | 規制前の安定期 |
| 2018年以降 | 減少傾向 | 出玉規制が本格化 |
| 2024年頃 | 約7,000店台 | ほぼ半減に近い状況 |
ゼットン大木さん自身も安田一彦さんとの対談動画(悠遊道MovieChannel)の中で「パチンコメディアは終了!?」「ガチで消える!?」というテーマで業界の厳しい現状を語っており、現役ライター自らが市場縮小を強く意識していたことがわかります。
ゼットン大木さんが出演していた看板番組「Ready Steady Go!リターンズ(RSG)」も2024年に終了しており、出役としての活躍の場が実際に狭まっていたのは明らかです。
ゼットン大木さんは「出役(ライター)」と「映像制作」の二足の草鞋を履き続けていて、一般的なパチスロライターは出役のみが収入源ですが、ゼットン大木さんはすでに2005年時点で制作会社を立ち上げており、メディア縮小のリスクを早期にヘッジしていたといえるでしょう。
それでも出役としての活動継続にこだわっていたのは、本物のパチンコ・パチスロへの愛着の表れだったと感じます。
引退理由2:映像制作会社「サードパーティー」の経営に専念するため

ゼットン大木さんは2005年、知り合いと2人で「有限会社サードパーティー」を立ち上げています。
きっかけは、給料が安いことを理由に映像会社を辞めようとしていた知人に「それなら一緒に会社を作ろう」と声をかけたことでした。
社員は10人弱という規模で、映像ソフト制作・MAスタジオ・書籍の編集・ライティング・ライター派遣など幅広い業務を手掛けています。
サードパーティーの主な事業内容
| 事業領域 | 具体的な内容 |
|---|---|
| 映像制作 | パチンコ番組(サイト7等)の制作 |
| MAスタジオ | 音声編集・音響制作 |
| 書籍・雑誌編集 | ライティング・編集業務 |
| ライター派遣 | 専門ライターの派遣サービス |
| イベント企画 | 各種プロモーション企画 |
ゼットン大木さん自身は「喋りより裏方向きだと思っている」とおっしゃっており、出役よりも制作・編集の仕事に適性を感じていたようです。
ライターとして出演する番組の中には、実はサードパーティーが制作を担当しているものも複数あったとされており、一人のライターが「出演者」と「制作者」を同時にこなすという珍しいスタイルでした。
ライター業引退後も、サードパーティーの代表取締役として映像制作・メディア事業を継続することが最も自然な流れだと考えられます。
引退のタイミングが「年末の12月31日」というキリのよい日付だったことも、単なる体調不良ではなく計画的なキャリアチェンジであったことをうかがわせます。
病気の噂は他のプロパチンコライターやゼットン繋がりによる誤解だと思われる

「ゼットン大木 病気」と検索する人が一定数いますが、公式情報として病気を示す発表は現時点で確認できていません。
では、なぜ病気の噂が広まったのでしょうか?複数の要因が重なっている可能性があります。
まず、パチスロライター全体で健康問題による引退が実際に起きていて、長時間のホール滞在による騒音・受動喫煙・不規則な生活は、業界共通の健康リスクとして知られており、過去には筋萎縮性側索硬化症(ALS)に似た症状での引退例も報告されています。

こうした「他のライターの事例」がゼットン大木さんに結びつけられた可能性があります。
| 混同が生じやすい原因 | 詳細 |
|---|---|
| 同業他者の健康問題による引退 | 他ライターの病気退場ニュースとの混同 |
| 「ゼットン」名前の混同 | 飲食業の「株式会社ゼットン」(無関係)が存在する |
| 突然の引退発表 | 詳細説明前に憶測が先行した |
さらに大きな誤解の源として見落とされがちな点があります。
「ゼットン」という名前の会社には「株式会社ゼットン(zetton)」という名古屋発祥の大手飲食チェーン会社が存在し、こちらの代表取締役社長・鈴木伸典氏は過去に重病を患った経歴を公表しています。
「ゼットン」「社長」「病気」というキーワードが重なるため、全く無関係の別会社・別人物の情報がゼットン大木さんに紐づいてしまった可能性は十分に考えられます。
正々堂々と生きる、冗談は言うけど嘘はつかない」というのがゼットン大木さん本人がXのプロフィールに掲げている信念ですが、病気を隠したまま引退するというのはこの信念と相容れないと感じます。
ゼットン大木の会社「サードパーティー」は制作会社!

サードパーティー(Third Party Inc.)は東京・上野エリアを拠点とする映像制作会社です。
会社の公式サイト(www.3rd-party.co.jp)は2006年の著作権表記があり、それ以前から実態として活動していたことがわかります。
サードパーティー基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 会社名 | 有限会社サードパーティー(Third Party Inc.) |
| 設立 | 2005年(ゼットン大木さんが32歳の時) |
| 所在地 | 東京都(JR・東京メトロ上野駅から徒歩7分) |
| 主な業務 | 映像制作・MAスタジオ・編集・ライター派遣 |
| 代表取締役 | ゼットン大木さん(共同経営) |
サードパーティーはパチンコ情報サイト「サイト7(Site7)」の番組制作に関わっており、「レディステ(RSGことReady Steady Go!リターンズ)」などの制作を手掛けていました。
粗編(ラフカット)を中心とした編集業務を得意としており、テレビ的な派手な演出より実用的な映像制作に強みがあります。
ここが一般的にあまり語られていないポイントなのですが、サードパーティーがライター派遣事業も行っていることは注目に値します。つまりゼットン大木さん自身がライターとして活躍する「出役」の面だけでなく、他のライターを業界に送り出す「プロデュース」側の機能も同社が担っていたわけです。
ライター引退後もこの仕組みで業界に関わり続けることができる構造は、非常に理にかなっています。
個人的に今回の件を分析してみた結果

ゼットン大木さんの引退を改めて整理してみると、病気ではなく「27年間やり切った達成感」と「制作会社経営への集中」というポジティブな選択だと考えられます。
| 観点 | 評価 |
|---|---|
| 引退のタイミング | 年末12月31日という計画的なタイミング |
| 代替手段の有無 | サードパーティー経営で業界継続が可能 |
| 病気の根拠 | 公式発表なし・状況証拠もほぼなし |
| 業界貢献 | 制作側で引き続き支える役割へ移行 |
ライターとして27年間活躍し続けること自体、業界の平均活動期間(2〜5年)をはるかに超えた偉業で、パチスロ・パチンコメディア全体が縮小していく時代の流れの中で、映像制作会社という「裏方の砦」をすでに20年前に作っていたゼットン大木さんのキャリア設計は、業界人として非常に先見の明があったといえます。
引退はゴールではなく、新しいステージへの移行として捉えるのが正解だと思います。ファンとしては、これからも制作側でパチンコ・パチスロ文化を支え続けてくれることを期待したいところです。
