1994年の開始から30年以上にわたり、日曜の朝にお茶の間にほのぼのとした笑いを届けてきた『はやく起きた朝は…』。
松居直美さん、磯野貴理子さん、森尾由美さんの3人が繰り広げる井戸端会議のようなトークは、多くの視聴者にとって生活の一部でしたが、そんな国民的長寿番組が2025年3月に地上波レギュラー放送を終了。
本記事では、番組が終了した理由、まことしやかに囁かれた不仲説の真相、感動的だった最終回の内容、そして番組を愛した視聴者100人の本音を徹底的に調査し、紹介します。
早く起きた朝はなぜ終了?不仲?

長年愛されてきた番組がなぜ地上波での歴史に幕を下ろすことになったのでしょうか。視
聴率の問題や出演者の不仲説など、様々な憶測が飛び交いました。
ここでは、複数の情報をもとに、その真相に迫っていきたいと思います。
視聴率が思うように伸びなかったため
長寿番組が終了する理由として真っ先に挙げられるのが視聴率の低迷ですが、『はやく起きた朝は…』の場合、単純に視聴率だけが問題だったとは考えにくいです。
日曜の早朝6時半という時間帯は、もともと高視聴率を狙う枠ではありません。むしろ、ラジオのように「ながら見」できる気軽さが、固定ファンに長年支持されてきた理由の一つでした。
しかし、テレビ業界全体の視聴率競争の激化や、ライフスタイルの多様化により、新規の若い視聴者を獲得することが難しくなっていたようです。
番組は時代に合わせて放送時間を変えてきましたが、その変遷を見ても、常に視聴者との最適な接点を模索してきたことがうかがえます。
番組名 | 放送期間 | 放送時間 | 特徴 |
---|---|---|---|
おそく起きた朝は… | 1994年4月~2003年3月 | 日曜 9:30~10:00 | 番組の原点。日曜の朝をゆっくり過ごす層がターゲットでした。 |
おそく起きた昼は… | 2003年4月~2005年3月 | 日曜 13:30~14:00 | 昼食後のリラックスタイムに合わせた放送時間への移行でした。 |
はやく起きた朝は… | 2005年4月~2025年3月 | 日曜 6:30~7:00 | 早朝にシフトし、朝活層や主婦層を意識した編成になりました。 |
不仲説が浮上したため
30年以上も同じメンバーで続いた番組だからこそ、「実は仲が悪いのでは?」という不仲説が囁かれることもありました。
しかし、これは全くの事実無根と言っていいでしょう。
むしろ、関係性は番組が長続きした最大の要因で、森尾由美さんは3人の関係を「ゴムみたい」と表現しており、付かず離れずの柔軟な関係性が心地よいと語っています。
番組の歴史は、3人の人生そのもので、松居直美さんの出産、森尾由美さんのアメリカ生活や孫の誕生、そして磯野貴理子さんの二度の結婚・離婚や脳梗塞からの復帰など、プライベートな重大事を包み隠さず番組で報告し、互いに支え合ってきました。
磯野さんが2度目の離婚を涙ながらに告白した回は、単なるトーク番組を超えた、人生のドキュメンタリーとして多くの視聴者の胸を打ちました。
台本も事前の打ち合わせもほとんどなく、30分番組をほぼ編集なしで放送するというスタイルは、3人の絶対的な信頼関係がなければ成立しなかったはずです。
年代 | ライフイベント | 番組でのエピソード |
---|---|---|
1990年代 | 松居直美さんが出産 | 番組を休まず、電話で出演を続けたこともありました。 |
2010年代 | 磯野貴理子さんが脳梗塞で倒れる | 復帰後、番組で元気な姿を見せ、2人も心から安堵していました。 |
2019年 | 磯野貴理子さんが離婚を告白 | トークの途中で突然告白。松居さんが号泣し、森尾さんが優しく寄り添う姿が印象的でした。 |
2022年 | 森尾由美さんにお孫さんが誕生 | 番組内でおばあちゃんになった喜びを語り、視聴者からも祝福の声が寄せられました。 |
制作体制とスポンサー構造の変化があったため
公表されている直接的な理由は、スポンサーの撤退です。
長年番組を支えてきた資生堂や東京ガスといった大手企業がスポンサーから離れたことが、地上波での放送継続を困難にした最大の要因と考えられ、フジテレビ全体が抱える問題が影響したとの見方もあります。
しかし、専門的な観点からもう一歩踏み込むと、番組の根幹を支えてきた制作体制の変化も無視できない要因で、この番組は、企画者である常田久仁子さん(2020年死去)の存在が非常に大きいものでした。
情熱と哲学が番組の核となっていましたが、その柱を失ったこと、そして制作会社である千代田企画の体制の変化などが、30年続いた番組のあり方を見直すきっかけになったようで、地上波レギュラーという大規模な放送形態から、CSでの月1回放送へと移行したのは、コアなファン層に支えられながら、より持続可能で健全な制作体制を再構築するための戦略的な判断であったためです。
観点 | 詳細 | 考察 |
---|---|---|
企画者の不在 | 番組の生みの親である常田久仁子さんが2020年に亡くなりました。 | 番組の魂ともいえる存在を失ったことが、長期的に制作体制の見直しに繋がったと考えられます。 |
制作会社の役割 | 制作著作の千代田企画は、萩本欽一さんの番組なども手掛けてきた老舗です。 | テレビ業界の変化の中で、制作会社が担う役割やビジネスモデルも変化しており、その影響を受けた可能性があります。 |
CS移行のメリット | 地上波に比べ、制作費を抑えつつ、熱心なファンに確実に届けられます。 | スポンサーに依存しすぎない、新しい番組の存続モデルを模索する動きと見ることができます。 |
最終回はどんな内容だった?

2025年3月30日に放送された地上波レギュラー最終回は、湿っぽい雰囲気は一切なく、いつも通りの『はや朝』らしい、温かい笑いに包まれた30分でした。
3人は番組の歴史を振り返りながらも、あくまで自然体なトークを展開。
そして番組のラストで、視聴者に向けて31年間の感謝を伝え、「これからもよろしくお願いいたします」と笑顔で締めくくりました。
この最終回で最も感動的だったのは、番組の最後に流れた一本のCMです。
それは、番組の企画者である故・常田久仁子さんへの感謝と、フジテレビへのエールの意味を込めて、萩本欽一さんが自身の事務所「萩本企画」名義で提供したものでした。
長年の功労者への粋な計らいは、番組とテレビを愛する人々の心を打ち、多くの視聴者が涙しました。
項目 | 詳細 |
---|---|
放送日 | 2025年3月30日(日) 午前6:30~7:00 |
主な内容 | ・いつも通りの視聴者からのおハガキ紹介 ・3人の軽快なトーク ・番組の最後に3人から視聴者への感謝のメッセージ |
特別な出来事 | 萩本欽一さんが「萩本企画」名義で30秒の感謝のCMを提供。 |
視聴者の反応 | 「最終回を見て号泣した」「萩本さんのCMに感動した」といった声がSNSに溢れました。 |
早く起きた朝はについて100人の声を調査
番組の地上波終了にあたり、SNSや公式サイトには視聴者からの様々な声が寄せられました。
今回、X(旧Twitter)の投稿や公式サイトのメッセージなど約100件の意見を分析したところ、以下のような割合になりました。
やはり半数以上が終了を悲しむ声でしたが、それと同時に3人の変わらない関係性を称賛する声や、CS放送での継続を喜ぶ前向きな意見も多く見られました。具体的な口コミをいくつかご紹介します。
Q&A
ここでは、『はやく起きた朝は…』に関するよくある質問から、少しニッチな疑問まで、Q&A形式でお答えします。
- 番組は完全に終わってしまったのですか?
いいえ、完全に終了したわけではありません。2025年4月からは、放送の舞台をCS放送「フジテレビTWO」に移し、毎月第2日曜日の午前6時30分から月1回のペースで放送を続けています。また、地上波でも「母の日SP」のように不定期でスペシャル番組が放送される予定なので、これからも3人の姿を見る機会はありますよ。
- 出演者の3人は本当に仲が良いのですか?
はい、様々なインタビューや番組での様子から、非常に強い絆で結ばれていることがわかります。30年以上の共演期間は、彼女たちの人生の半分以上を占めます。その中で、結婚、出産、離婚、病気といったプライベートの大きな出来事を共に乗り越えてきました。森尾由美さんが3人の関係を「付かず離れずのゴムみたいな関係」と表現したように、互いを尊重しつつも、いざという時には支え合う、まさに家族のような関係性だと言えるでしょう。
- 番組で視聴者からのお便りを読むスタイルは、いつから始まったのですか?
番組開始当初からこのスタイルだったわけではないようです。公式サイトに寄せられた視聴者の投稿によると、ある方が番組セットに飾られていたキリンの置物について問い合わせる手紙を送ったところ、それが番組で紹介されたそうです。これをきっかけに、視聴者からの「不平、不満、グチ」をハガキで募集するようになり、現在の双方向的なトークスタイルが確立された、という感動的なエピソードが伝えられています。この視聴者との距離の近さが、30年以上も愛される番組になった大きな理由の一つなのです。