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    はねるのトびらの終了理由は不仲やいじめ等の闇?なんJや打ち切りの噂とは

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    2001年から2012年まで、約11年半にわたって放送されたフジテレビの伝説的バラエティ番組『はねるのトびら』。

    キングコング、ロバート、ドランクドラゴン、インパルス、北陽という5組の若手芸人が繰り広げるコントや企画は、特に中高生を中心に絶大な人気を誇りましたが、その輝かしい歴史の裏で、番組終了の背景にはメンバー間の深刻な不仲やいじめ、パワハラといった黒い噂も。

    本記事では、一次情報や関係者の証言を基に、その真相を徹底的に調査し、紹介していきます。

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    はねるのトびら終了理由は不仲やいじめ等の闇?打ち切りなの?

    多くのファンに惜しまれつつ終了した『はねるのトびら』ですが、その裏側では一体何が起きていたのでしょうか。

    単なる視聴率の低下だけでは説明できない、根深い問題があったようです。

    終了理由1:メンバー間の深刻な不仲と制作現場の過酷さのため

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    番組終了の最大の原因として挙げられるのが、メンバー間の深刻な人間関係の悪化と、それを助長する過酷な制作環境だったと考えられます。

    当時、番組の中心的存在だったキングコングに対し、他のメンバーが強い不満を抱いていたことは、もはや公然の事実なので、ドランクドラゴンの鈴木拓さんは、複数のメディアで「僕はキングコングが大嫌いですから、喋らなかった」と公言しています。

    鈴木さんにとって『はねるのトびら』の収録は「11年間は苦行でしかなかった」と語るほど、精神的に追い詰められる現場だったようです。

    この不仲は、単なる好き嫌いのレベルを超え、一触即発の事態にまで発展。

    ある飲み会の席で、番組の空気を良くしようと会をセッティングしたロバートの山本博さんに対し、キングコングの梶原雄太さんが「お前があんな会、開かなかったら、こんなにみんな喧嘩することなかっただろうがよ!」と激昂。これに山本さんも激怒し、さらに鈴木拓さんも「テメェ、梶原! 殺すぞこの野郎!」とブチギレるなど、凄惨な状況だったことが明かされています。

    また、タレントの勝俣州和さんがゲスト出演した際のエピソードは、現場の異常さを物語っていて、北陽の虻川美穂子さんが進行を間違えた際、他のメンバーが一斉に虻川さんを責め立てるという光景を目の当たりにしたそうです。

    勝俣さんが「いいよ間違っても。何度も撮り直せばいいんだから」とフォローすると、虻川さんは「そんなこと言われたの初めてです」と涙ながらに語ったといいます。

    番組内にミスが許されない殺伐とした空気が蔓延していたのでしょうか。

    問題はメンバー間だけでなく、制作スタッフとの間にも存在していたようで鈴木拓さんは、番組のディレクターから11年間もの間、ひたすら「殺すぞ!」と言われ続けていたと告白しており、これはパワハラ以外の何物でもありません。

    このような信頼関係が崩壊した現場で、面白い番組を作り続けることは不可能だったと思われます。

    人物相関エピソード概要情報源
    鈴木拓 vs キングコング「大っ嫌いでした」と公言し、番組は苦行だったと語っています。テレビ番組での本人発言
    梶原雄太 vs 山本博・鈴木拓飲み会で意見が対立し、一触即発の喧嘩になったそうです。AbemaTVでの本人発言
    メンバー vs 虻川美穂子進行ミスをした虻川さんをメンバー全員で責め立てたとのことです。勝俣州和さんのYouTubeでの暴露
    鈴木拓 vs ディレクター「殺すぞ!」と11年間言われ続けるパワハラを受けていたようです。AbemaTVでの本人発言

    ちなみに北陽が消えた理由についてはこちらで解説しています。

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    終了理由2:ゴールデン進出による番組コンセプトの変容とコントの質の低下のため

    深夜番組としてスタートした当初の『はねるのトびら』は、非常に実験的で尖ったコントが魅力でしたが、2005年10月に水曜20時台のゴールデンタイムに進出したことが、番組の運命を大きく変えることになったのです。

    ゴールデンタイムで放送するということは、これまでのようなコアなお笑いファンだけでなく、子どもからお年寄りまで、幅広いファミリー層を視聴者として意識しなければなりません。

    その結果、番組内容は大きく変容して、かつての番組の核であった作り込まれたコントは激減し、「ほぼ100円ショップ」や「回転SUSHI」、「ギリギリッス」といった、ゲストを招いて行うゲーム企画が中心となっていったのです。

    この路線変更は、一定の視聴率を確保することには成功しましたが、同時に深夜時代からの熱心なファンを失望させる結果に。

    なんJなどの掲示板では、「終盤はダイタイソーしかやらんくなったよな」といったマンネリ化を指摘する声も多く見られます。

    また、この変化は出演メンバーのモチベーションにも影響を与えたと考えられますし、ロバートの秋山竜次さんやドランクドラゴンの塚地武雅さん、インパルスの板倉俊之さんのような、コントの才能に長けた芸人たちの持ち味が、ゲーム企画では十分に発揮されにくくなったのです。

    結果的に、番組は徐々に勢いを失っていき、2012年8月15日にはゴールデン昇格後の最低視聴率7.4%を記録し、そして同年9月26日の最終回スペシャルでは、それをさらに下回る6.7%という数字で、11年半の歴史に幕を下ろすことになりました。

    視聴者の関心が完全にはなれてしまっていたことの悲しい証明と言えるかもしれません。

    項目深夜時代 (2001年~2005年)ゴールデン時代 (2005年~2012年)
    主な視聴者層お笑い好きの若者やコアなファンでした。子どもを含むファミリー層が中心になりました。
    番組のメイン企画「ポセイドン物語」など独創的なコントが中心でした。「ほぼ100円ショップ」などゲスト参加型のゲーム企画が主でした。
    番組の雰囲気実験的で、若手芸人の勢いが感じられる空気感でした。大衆向けで、安定感はあるもののマンネリ化も指摘されました。
    視聴者の評価熱狂的なファンが多く、カルト的な人気を誇っていました。広く認知されましたが、深夜時代からのファン離れも招きました。
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    終了理由3:キングコング中心の番組構成に対する他メンバーの不満が限界に達したため

    『はねるのトびら』は、キングコングがMC的な立ち位置で番組を進行する構成が基本でした。

    若手時代から圧倒的なスピードでスターダムを駆け上がった彼らを中心に据えるのは、テレビ局としては当然の戦略だったのかもしれませんが、この「キングコング中心主義」が、他のメンバーとの間に深刻な亀裂を生んでいたのです。

    前述の通り、ドランクドラゴンの鈴木拓さんは「なぜ、あの真ん中のやつら(キングコング)を盛り上げなきゃいけないのかって、もうそれが嫌で嫌で」と、当時の露骨な不満を語っています。

    鈴木さんの場合、テレビに映るのが3ヶ月に1回、数十秒ということもあったそうで、番組への貢献を実感できないまま、ただ現場に居続けなければならない状況は、まさに「苦行」だったのでしょう。

    一方で、相方の塚地武雅さんは「MUGA様」をはじめ約40種類もの人気キャラクターを生み出すなど大活躍しており、コンビ内での格差も広がっていました。

    塚地さん自身は番組に感謝していると語っていますが、相方の苦悩を隣で見て見ぬふりはできなかったはずです。

    この不満は、鈴木さんに限ったことではなかったと思われ、ロバート、インパルスといった実力派コント師たちからすれば、コントの実力とは別の部分で序列が決まってしまう番組の体制に、面白くない感情を抱いていたとしても不思議ではありません。

    ロバートの秋山竜次さんは、現在「クリエイターズ・ファイル」などで見せるように、唯一無二の世界観を持つ天才コント師です。そんな彼が、キングコングを盛り立てる役割に甘んじていたとは考えにくいのです。

    キングコングの西野亮廣さん自身も、20歳で大抜擢された当時を振り返り、「毎度、『お前に何ができるの?』という目で見られた」と語っており、相当なプレッシャーの中で番組に臨んでいたことがうかがえます。

    このようなメンバー間の歪なパワーバランスと、それによって生じた不満や嫉妬が積もり積もった結果、番組としての一体感は完全に失われてしまいました。

    チームワークが不可欠なユニットコント番組において、この内部崩壊は致命的であり、番組終了の直接的な引き金になったと考えられます。

    メンバー番組内での役割当時の心境・状況
    キングコングMC、番組の中心的存在でした。大きなプレッシャーと、他メンバーからの反感を一身に受けていたようです。
    鈴木拓さん地味で目立たない役回りが多かったそうです。「苦行だった」「大嫌いだった」と、強い不満を抱えていたとのことです。
    塚地武雅さん人気キャラクターを多数生み出すコントの要でした。多忙な日々でしたが、番組のおかげで知名度が上がったと感謝しているようです。
    ロバート秋山さん独創的なキャラクターでコントを支えていました。ゴールデン進出後、持ち味であるシュールなコントがしにくくなった可能性があります。
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    なんJやSNSの声を徹底調査

    番組終了から10年以上が経過した現在でも、『はねるのトびら』はSNSやなんJといったネット掲示板で頻繁に語られています。

    その声を調査したところ、大きく分けて3つの意見が見られました。

    口コミの割合

    面白かった・復活してほしい(約60%)
    ゴールデン進出後はつまらなかった(約30%)
    メンバーの不仲や番組の闇に言及(約10%)

    最も多いのは、番組を懐かしみ、復活を望む声です。特に深夜時代を知る世代からは「神番組だった」と絶賛されています。

    一方で、ゴールデン進出後のゲーム企画中心の構成には否定的な意見も根強く、番組の変容を残念に思う声も少なくありません。

    代表的な口コミ

    深夜時代のコントは本当にキレキレで毎週爆笑してた。特にロバート秋山とインパルス板倉のキャラは天才的だったと思う。

    「ほぼ100円ショップ」は家族みんなで見てたなー。高額商品が出たときのリアクションが面白かった。

    ギリギリッスでの梶原の身体能力はマジで凄かった。あれだけは誰も真似できない。

    末期は同じ企画の繰り返しで完全にマンネリ化してたよね。コントがほとんど無くなったのが悲しい。

    今になって鈴木拓とかが暴露してるのを聞くと、あの頃のギスギスした感じも納得できるわ。画面越しにも仲の悪さが伝わってきてた気がする。

    子どもに見せたくない番組ランキングの常連だったけど、今思えばそれだけ影響力があったってことだよな。

    はねるのトびらが復活する可能性はかなり低そう。。

    多くのファンが復活を望んでいますが、その可能性は限りなくゼロに近いと言わざるを得ません。

    最大の障壁は、やはりメンバー間の修復不可能な人間関係で、鈴木拓さんが公言しているキングコングへの嫌悪感は非常に根深く、今さら同じメンバーで集まって番組を作ることは現実的ではないでしょう。

    鈴木さんと西野亮廣さんがテレビ番組の企画で「仲直り」を試みた際も、最終的に「梶原が嫌い」という点で意見が一致して終わるという皮肉な結果になっています。

    また、各メンバーが現在、それぞれの分野で確固たる地位を築いていることも、再集結を難しくしている要因です。

    西野亮廣さんは絵本作家やオンラインサロンの主宰者として大成功を収めており、もはやテレビ芸人の枠には収まっていませんし、相方の梶原雄太さんは、YouTuber「カジサック」としてチャンネル登録者数200万人を超える人気者となり、独自の活動基盤を確立しています。

    また、ロバートの秋山竜次さんは「クリエイターズ・ファイル」などで唯一無二の才能を発揮し、ピン芸人として不動の地位を築いていますし、インパルスの板倉俊之さんは小説家としても活躍し、塚地武雅さんは名バイプレイヤーとして数々のドラマや映画に引っ張りだこです。

    2025年1月には「復活してほしいバラエティ番組」のランキングに名前が挙がるなど、待望論は今なお存在します。

    しかし、メンバー全員が多忙を極め、かつてのしがらみも存在する中で、全員のスケジュールとモチベーションを合わせることは、奇跡でも起きない限り不可能だと思われます。

    一夜限りの特番ですら、実現は極めて難しいでしょう。

    コンビ名メンバー主な活動(2025年時点)
    キングコング西野亮廣さん絵本作家、実業家、オンラインサロン主宰など、多岐にわたります。
    キングコング梶原雄太さんYouTuber「カジサック」として、ファミリー層を中心に絶大な人気です。
    ドランクドラゴン鈴木拓さんバラエティ番組のほか、俳優業や趣味の柔術でも活躍されています。
    ロバート秋山竜次さんピン芸人として「クリエイターズ・ファイル」が大ヒットしています。

    Q&A

    「はねるのトびら」の最高視聴率はどのくらいでしたか?

    ゴールデンタイムに進出した後の2006年頃には、関西地区で20%を超えることもありました。特に学生が夏休みに入る7月〜8月には高視聴率を記録する回が多かったようです。しかし、番組末期には視聴率が低迷し、最終回の視聴率はゴールデン進出後では最低となる6.7%でした。

    なぜ番組名は「扉」ではなく、ひらがなの「トびら」だったのですか?

    これは公式に明言されているわけではありませんが、いくつかの理由が考えられます。まず、この番組が若手芸人にとっての「登竜門」であり、「新しいお笑いの世界への扉」を開くという意味が込められていたと思われます。その際、漢字の「扉」だと硬い印象を与えてしまうため、ひらがなの「トびら」にすることで、親しみやすさや柔らかいイメージを表現する狙いがあったのではないでしょうか。また、前身番組『新しい波8』からの飛躍を意味する「跳ねる」と、次のステージへの「扉」を組み合わせた、番組のコンセプトを象徴するタイトルなのです。

    鈴木拓さんは番組を「苦行」とまで言っていたのに、なぜ11年間も出演し続けたのですか?

    鈴木拓さん自身は番組終了を心から喜んでいましたが、当時は『はねるのトびら』以外のバラエティ番組への出演が難しいという、非常に厳しい状況があったようです。番組で定着してしまった「地味で目立たない、つまらないやつ」というキャラクターが足かせとなり、他の番組から声がかかりにくかったのです。また、相方の塚地武雅さんは番組の中心メンバーとして大活躍していたため、コンビとして番組を降板するという選択肢は現実的ではありませんでした。生活のため、そして何より相方のために、鈴木さんは「苦行」と感じながらも11年間出演を続けるしかなかった、というのが実情だったと考えられます。

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